1958年  大阪生れ
1979年  水中カメラマンとしてテレビ番組の制作に携わった後、イラストレーションを独学で習得
1985年  イラストレーターとして独立。
       広告出版の仕事と平行し水中カメラマンの経験を基に 独自のネイチャーマリンアートを制作。
1986年  「ザトウクジラの親子」がU.S.A.オムニに採用
1988年  JR北海道「青函トンネル開通記念」ポスタ−で第41回広告電 通賞
1992年  「Marine Fishes」が “ザ・ネイチャーカンパニー”に採用以降レギュラー制作
   同年  「Angelfishes」が名古屋港水族館開館記念に採用
1993年  大阪・海遊館のオリジナル「The Art of Kaiyuukan」の制作
1994年  有楽町マリオンにて個展
   同年  作品集「THE UNDER WATER LIFE」を出版
1995年  有楽町マリオンにて個展
   同年  大阪・海遊館にて個展
1997年  作品集「LIVING IN BLUE」を出版
   同年  新宿伊勢丹にて個展
1998年  大阪心斎橋大丸にて展示会
1999年  大坂ダブルクロックギャラリ−にて「海人2人展」
   以降  毎年各地にて展示会を行っている

日本理科美術協会会員
日本ワイルドアイフアート協会会員

 幼少の頃、水中眼鏡と足ヒレを買ってもらったのがはじまりだった。水中生物を見るのがたまらなく好きになった。小学生になって熱帯魚を飼うことに夢中になり、父親とダイビングもするようになった。
アルバイトができるようになると水中作業をした。危険な作業もあったがその分高額な収入を得ることができた。そのお金で水中カメラの機材を揃えていき各地のダイビングポイントに出向いた。そして水産学び舶免許を取り、ダイビングマスタ−インストラクタ−を取得した。
 幸運にもVTRカメラマンとして働くことができ、自然や動物をあいてに世界各国を取材することができた。この事は大きな財産のひとつと言える。退社後もVTRカメラマンとして動物を主に企画制作に携わった。
 ある日、著名な写真家デビット・デュブレイ氏の講演会に行き彼が言った「日本のカメラマンは絵が描けないからだめだ。」の言葉で強烈なショックをうけた。すぐに絵を描く勉強をはじめた。しかし、鉛筆やロットリング、烏口の使い方はわからなかった。毎晩遅くまで練習した。頭の中には子供の頃から見つづけた魚の生体がはっきりと描けているのだから。
 努力の甲斐が有りイラストレ−ションの仕事をするようになった。まだまだ自分の技術に不満だった。著名なイラストレ−タ−宅に押しかけることもあった。VTRの仕事とイラストの仕事の割合が逆転しはじめた。稼いだお金は熱帯魚、ダイビング、釣、そして旅費に消えていったが、今日では七つの海といわれる南氷洋、北氷洋、南、北太平洋、南、北大西洋、インド洋への渡航を果たし、各地の地形や生物の知識と企画力を得た。1986年「ザトウクジラの親子」がU.S.A.オムニに採用、1988年JR北海道「青函トンネル開通記念」ポスタ−で第41回広告電通賞を受賞した。
 イラストの仕事を手がけてから約10年後、画家としての活動がはじまった。彼の正確な生体の表現が認められ1992年「Marine Fishes」が“ザ・ネイチャーカンパニー”に採用、名古屋港水族館や海遊館のポスタ−などを制作し、作品集「THE UNDER WATER LIFE」、「LIVING IN BLUE」を出版。有楽町マリオン、大阪・海遊館にて個展を行なうなど活動を重ねている。

「何十年、何百年と過ぎると地形も生物も変わっていくだろう、失うもの、生まれるもの、でも自分が生きたこの時をできるだけ正確に後に伝わるようなWILD LIFE ART を描いていきたい。」